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2010.01.07 狩猟の歴史
狩猟の歴史を調べていて
ちょっと興味深いモノを見つけました。
狩猟の時代的変遷が述べられています。

『人と野生鳥獣とのかかわり方の歴史と教訓(角口裕子)』

また
藤木久志氏の『刀狩り-武器を封印した民衆-』(岩波新書)
この中での銃に関する記述です。
引用しますと

江戸幕府成立から数十年間は、幕府や各大名による鉄砲所持規制が行なわれた形跡はない。
1662年、幕府は鉄砲取締りに着手(関東のみ)。猟師の鉄砲を登録免許制にし、それ以外は所持を禁止・没収。猟師の鉄砲には木札の許可証が公布。
1676年、その免許登録を幕府が直接管理。ただし、山間部で猪や猿等作物を荒らす害鳥獣には鉄砲を撃つことが認められた。
1687年、この規制は全国化。猟師鉄砲(実弾・狩猟)、威し鉄砲(空砲・害鳥獣)、用心鉄砲(実弾・治安)の他村々の鉄砲はすべて没収。5代将軍綱吉の「生類憐みの令」と連動していたと考えられる。
2年後に害鳥獣に対しても実弾許可。
1709年、綱吉の死でこの法令は撤回、害鳥獣への実弾発砲自由化。
基本的に、鉄砲は戦闘用の武器というより農具の一つと認識。
1729年の法令で、害鳥獣対策では鉄砲は必要なだけ撃ってよく、村の鉄砲の数量制限も撤廃。しかし、鉄砲は領主が村人に預けているもので、鳥獣以外の殺生には使用させない原則。
1800年代に入って治安が悪化し始め、1839年猟師以外の鉄砲の所持禁止令が再び発令。しかし、村の生活に必須であれば村の鉄砲として認可・返還。鉄砲はあくまでも、狩猟用、害鳥獣対策の農具と位置づけ。鉄砲は武器として使用しないと言う暗黙の原則。百姓一揆でも鉄砲は使用されなかった。一揆側が鉄砲を使用しない限り、大名側が鉄砲を使用することは認めない、という幕府の基本姿勢。この原則が揺らぐのは、幕末に近い1800年代の始め頃。


高齢化により狩猟者の減少が問題になっていますが
狩猟の歴史を知ることで今後の解決につながるでしょうか。


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